NBonline web2.0(笑)の広告学 「素敵な広告をありがとう、20年間ずっと買っちゃうよ」を読んで

またNBonlineネタで恐縮です(笑)

今回は、NBonline web2.0(笑)の広告学 「素敵な広告をありがとう、20年間ずっと買っちゃうよ」を読んでまた違和感を感じたので、そのことについてまたつらつらと書いてみたいと思います。

まず、全体を通してですが、スダシン氏は議論したいといっている割に議論の体裁を整えていないですね。
単に飲み屋で管巻いているのと変わりません。
そういうスタンスで見れば参考になる記事だとおもいますが、それ以上ではない。

まず、議論したいというのであれば、議題を明らかにしないと。
「広告とは?」という漠然とした物であれば、それは議論とは言えないとおもうのです。
だって結論でないもの。
思想的だったり、宗教的だったりするわけで。

元々は、NBonline BOOM! 「楽しいテレビ広告をありがとう。でも商品は買わないよ」が発端なわけです。
こちらの記事について、今回の記事に関する部分の趣旨としては、
商品を売るために広告を行った。新たな試みも行い広告自体は話題にもなり、いろいろな意味で認知度は上がったとおもう。だけど、商品自体の売り上げは伸びなかった。そのためこの広告ははっきりいって失敗だったといえる。
ということだとおもう。
この失敗だったと思うという結論になったのは、その広告をうった目的から判断した結果だろう。
当然、そのための判断基準は明らかだ。
「決められた期間」で「決められた売り上げ」をのばす。
これが達成できなかったから失敗だったと結論づけているのだろう。

しかし、今回の記事では、以下のように書いている。
私はそうは思いません。商品の売上が伸びなかったことが事実だったとして、そのすべてを1つの広告に起因させるのはどうかと思いますし、広告をしていなければ商品の売上が下がっていた可能性もあります。
広告は、商品が売上を伸ばすための要素の1つではありますが、すべてではありません。オールorナッシングで議論するのは非常に危険な気がします。
商品が売れるために必要な要素には「商品力」「営業力」「流通対策」などなど、さまざまなものがあり、広告もPRもその構成要素の1つに過ぎません。広告の時代は終わってPRの時代、というのは、非常に美しいトランジションに見えますが、果たしてそうなのか、非常に疑問です。
それとまだ実施されてから1年もたっていないキャンペーンの結果をすぐに求めるのもどうかな? という気がしてならないのです。

自分としては、これは言い訳にしか聞こえない。
今回の広告は、決められた期間に売り上げが伸びたことがわかるようにすることというのが命題だったのではないのか?
それに対して、この言いぐさはあまりに非道い。

広告をしていなければ商品の売上が下がっていた可能性もあります。
この部分が後に書いてあることを加味するとすごく違和感を感じる。
大塚製薬の商品を見ていていつも感心するのは「変えない勇気」です。
(省略)
なので、店頭で大塚製薬の商品を見たときに、ユーザーが接したその商品とのさまざまな過去のエンゲージメントの記憶を呼び起こさせる蓄積パワーが生まれます。
これはファイブミニ(および大塚製薬の商品)は定番商品となっているということだろう。
定番商品とは、固定的にある程度売れ続けるものだ。
もちろん100%そうだとは言い切れないが、その可能性は限りなく高い。
しかも短いといっている1年でそれが大きく変わるとも思えない。
であるのに「広告をしていなければ商品の売上が下がっていた可能性もあります」という主張。
今回の広告のミッションは売り上げの上乗せをすることであるはずで、それができなかったのは上乗せしたけどその土台が崩れたからかもしれないと。

広告は、商品が売上を伸ばすための要素の1つではありますが、すべてではありません。オールorナッシングで議論するのは非常に危険な気がします。
広告で売り上げのばしてねといわれてやりますよという契約のはずなのに、できなかったら広告だけでできるかよという主張。

それとまだ実施されてから1年もたっていないキャンペーンの結果をすぐに求めるのもどうかな? という気がしてならないのです。
その期間で結果が見えなければならなかったのだろうとおもうのに、それをどうかな?という主張。

くそ高い金をとって広告を任せられているのに、結果がでなければすべて責任転嫁しているようにしか思えないのです。

元記事では、1年という期間キャンペーンやったけど、結果がでなかったと言っているわけです。
それを逆にいえば、1年という期間で売り上げが伸びるという結果を出すことが求められた広告であったが、達成できなかったということでしょう。
なのに、1年で結論を出すのはどうか?とか、広告だけで売り上げが伸びるわけではないとか、前提をすべて無視してませんか?

しかも、売り上げを伸ばすための広告だったにもかかわらず、ブランドイメージの向上になったのではないか?とか、将来につながるのではないか?とか主張しているわけです。
これは話をしている前提が違うのだから、議論になっていないと思うのです。
そういう意見は、広告主が広告の責任者にたいして、「今回は直接的な売り上げにはつながらなかったが、世間で話題になり認知度の向上にもつながり、またブランドイメージの向上にもつながったと思うから気にしないように」とかそういう風にいわれるなら分かる。

しかし、それを目標を達成できなかった当人が言ってはいけないだろう。
その目標を達成するために依頼されて高い金取ってるわけだろう。
広告主からすれば目的を達成できず、捨て銭になってしまったのだ。
結果としてだけど、だましていることになったと自省できないのか?

もしこの記事が、元記事にたいしてのものではなく、広告というものの一般論として書かれているのであれば、ここまで言わない。
広告というのは、短期的に売り上げを伸ばすためのものと長期的な視野にたって行われるものがあり、今回は短期的に売り上げを伸ばすという本来の目的は達することはできなかったが、しかし長期的な効果は見込めるのではないか?
という主張であったり、
昨今は短期的に売り上げをのばすことが求められる広告が多いが、長期的なものと一対で行うべき、車輪の両輪なのではないか?
という主張であったり。
そういう主張であるなら、確かにそうだよねという話になるだろう。

しかし、実際にはそういう主張ではない。
単なる広告屋の責任逃れの言い訳にしか聞こえない。
目的が達成できなかった場合にたいする逃げ道作っているようにしか聞こえない。

今回はあえて異論をふっかけてみました。藤田さんとは是非、もっと深く議論してみたいと思います。どうぞよろしくお願いします!
今の貴方の記事は、単なる感想文と自己保身の道具であって、議論にはなっていません。
議論したいのであれば、何のどういうことに関して議論を行うのか、どういうところに行き着くと結論となるのか明らかにしてから行って欲しい。
つまり、論点を明らかにしてから行って欲しい。
論点が明らかでない以上、それは議論とは言えない
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